「モノに隠れた物語」 ~タナカヨウコの篆刻探訪記 #009~
「モノに隠れた物語」 タナカヨウコの篆刻探訪記
●雑貨屋は娯楽施設?
同業者の方ならきっと、激しく共感してくださることだろう。
そう、これは雑貨屋あるある。
「きゃー、ヤバイ!」「ちょーかわいー!」
大きな声ではしゃぎながら店内を隅々まで見て回り、
いろいろさわりまくって、許可なくバシャバシャ写真まで撮って…。
そんな儀式がひと通り終わると、急に、びっくりするほど本当に急に、
取り憑いていた何かが抜け落ちたかのように、
サーーーッと熱が引いて、スーーーーーッと店を出ていく。
「あー、楽しかった」「ちょー癒やされた」
…なんて、言いながら。
正直、写真は止めて欲しいけれど、
私が選んだ雑貨たちを、カワイイと言ってくださり、
それに癒やされたのであれば、やはり嬉しいしありがたい。
のちに、お買い上げにつながるケースだって、もちろんある。
だけど、殆どは、こと、お金をあまり使わない若い世代に関しては、
見て満足、さわって満足、はしゃいで満足、写真に収めたらもう十分、
…なのだ。
彼らにとって雑貨は、たぶんなくても生きていける、
目と心を楽しませてくれるモノ。
雑貨屋はタダで楽しめるただの娯楽施設にすぎない。
特段必要のないモノを売る、それが雑貨屋である私の仕事だけれど、
これが、案外難しいということだ。
●そこに物語はあるのか。
私の店は、多国籍の雑多な雑貨で溢れている。
ある人は「東欧雑貨店」と言い、
ある人は「アジアン雑貨店」と思い、
ある人は「かばん屋さん」と呼ぶ。
雑貨屋の定義が曖昧というのが大きな要因ではあるものの、
何屋かわからないとか、コンセプトがないとか、言われることがある。
とはいえ、自分なりに頑なに守り通したブレない軸が、実はある。
雑貨屋を構える前から、思い続け、言い続けてきたこと。
それは、自分で選んだ雑貨を売ること。
そして、その雑貨にまつわるストーリーを、
付加価値としてお客さまに提供すること。
海外で直接買い付けした雑貨を手に取れば、大量の土産バナシがついてくる。
国内で仕入れた雑貨には、ちょっとしたエピソード、
使った感想だの、街でおじさんに褒められただの、そんなスパイスを織り交ぜて。
私は胸を張って言える、「ココには、うちの子たちには物語がある」と。
●売り手は物語を作る。
繰り返しになるが、生活に必要でないモノを売ることは、結構難しい。
雨人さんも、似たようなことを言っている。
お客さまは見るだけで満足して、なかなか購入に至らない。
実用性のあるモノについては、100円ショップで、手軽に手ごろな代用品が買える。
ならば、どうするか?…「物語」を作るしかない、と。
なんだか私の生き様?を、肯定していただいたみたいで嬉しいぞ。
雨人さんは「日本一の篆刻家」という物語を作り上げ、
挙げ句の果てには「世界最速男」という壮大なストーリーへと展開させて、
彼が彫り上げるはんこに、他にはない大きな付加価値をつけた。
商品という主人公を輝かせる物語の作者は、それを売る売り手なのかもしれない。
●日本一になろう!
雨人さんの「何が」篆刻家として日本一なのか、というくだりに、
ちょっと笑ってしまうけれど、
なるほど、「何が」よりも「日本一」の方が重要だと言う。
「何が」は何でもよいのだから、日本一には誰でもなれる。
さて、
私は「何の」日本一を謳おうか?「何が」日本一の雑貨屋になろうか?
物語を展開させて、雑貨たちの付加価値をたくさん積み上げられるように、
ちょっと考えてみようと思う。
雑貨屋コンロラン店主 タナカヨウコ
【記事を書いた人】
ライター:タナカヨウコ
北鎌倉「コンロラン」店主
旅行好きがこうじて北鎌倉に世界の雑貨を扱う雑貨屋オープン
ライター、イラスト、写真と何でもこなすマルチアーティスト
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