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【折れないハート】~タナカヨウコの篆刻探訪記 #086~


 
【折れないハート】
 
●無機質な封筒の束
あれは、確か15年以上前のこと。
定年を過ぎてからも嘱託社員として働いていた母が、いよいよ退職することとなり、
当時「実家」と呼んでいた、私たち家族が育った社宅を出なければならなくなった。
 
そこに残していた思い出の品やガラクタたちを、処分する、或いは引き取るために、
私は仕事の休みを利用して、幾度か「実家」を訪れた。
 
高校時代に描いたラクガキの雪だるまが、色褪せたまま壁に貼られている部屋で、
押入れや戸棚の中にあるパンドラの箱を開ける。
 
転校するときにクラスメイトからもらった手紙や幼稚園の時から書き続けていた絵日記、
修学旅行の夜ふざけて撮ったばかばかしい写真、バイト先の仲間からお土産にもらった木彫り人形…。
 
そんな中で違和感をもって存在する、たいそう無機質な事務封筒の束が出てきた。
それは、その時点(15年以上前)更に数年遡った今から20年以上前のもので、
実にさまざまな企業から送られてきた「不採用通知」の束だった。
 
●めげない就職活動 
短大卒業後、美大の通信教育過程に進学したため、私は学業優先のスタンスで、
スクーリングにも対応できるようアルバイトや契約社員として働き、学費と生活費を稼いでいた。
通信課程卒業後、あり金全てを握りしめ(笑)、ワーキングホリデービザでカナダへ渡航した。
 
カナダからの帰国後、ろくなキャリアもスキルもないまま20代半ばになってしまった放浪癖のある私は、
就職活動のやり方も知らないままに、正社員としての就職活動を試みた結果がその封筒の束なのだ。
 
自分でも驚くくらいたくさんの企業を受けていたことを、私はすっかり忘れていた。
押入れ整理の手を止めて、恐る恐る再び開封してみる。
コピー用紙の上に整列した冷酷なワープロ文字が、自分を否定しているように思えて、
その時になってやっと、私の心は打ちのめされた。
受け取った当時は、さほど気にしていなかったので、めげずに履歴書を送りまくれたのだと思う。
 
書類選考と筆記試験と複数回面接の初期段階は通るのに、最終で落とされてしまう私に友人は、
ちゃんと転職活動の本を読んで、想定される質問の答えを準備してから面接に臨むよう助言してくれた。
にも拘らず、若さゆえか怖いもの知らずだったその頃の私は、
ありのままの作らない自分で評価してもらうなどと就職活動のイロハを知ろうともせず、
更には「私を採用しないとは見る目のない会社だ」と悪態をついて、めげずに我流の就職活動を続けた。
 
結果、何度目?何十回目?のアタックで、幸いにも、正社員とサラリーマン雑貨屋店主の座を勝ち取った。
 

●正攻法だけじゃない、それぞれのシューカツ
「就職活動がうまくいかなかったらこれを見て。雨人流就活術!」
 
この動画のタイトルを見たときに、某企業人事部で10年ほど採用担当をしていた私は、
採用する側の立場から何か書けるのではないか、雨人さんと違った視点で話せるのではないか、
そんな風に思ってセレクトしたに過ぎなかった。
 
蓋を開ければ、雨人さんの「はじめてのおつかい」ならぬ「はじめてのシューカツ」に、
若さゆえのめげないバイタリティを感じ、その戦法にある種の関心と共感を覚えた。
そして、そこに自分の就活体験を重ねみて、件の「不採用通知の束」を思い出したのである。
 
就活のイロハを知らない無鉄砲な私でさえも、「とらばーゆ」などの転職雑誌の中から企業を探した。
しかし、雨人さんは更に上を行くお方だった。
 

なんと、書道用具店のリストの中からターゲットを探し、求人しているかどうかもわからないのに、
「数打ちゃ当たる」の精神でアタックしまくったという。
そして、老舗書道用具店の面接に漕ぎつけ、肩パット入り、パステルグリーンのダブルのスーツで、
正社員の座を勝ち取ったというくだりが私は好きだ(笑)。
(イメージとしては80年代男性アイドルグループ「リフラフ」かな、と…)
 
そんなこんなで、就活についてはまた今度、別のハナシもしたいと思う次第です。
 
雑貨屋コンロラン店主 タナカヨウコ
 

タナカヨウコの篆刻探訪記
 【記事を書いた人】


ライター:タナカヨウコ
北鎌倉「コンロラン」店主
旅行好きがこうじて北鎌倉に世界の雑貨を扱う雑貨屋オープン
ライター、イラスト、写真と何でもこなすマルチアーティスト
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