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篆刻の鑑賞法。なぜこの篆刻家が歴史に名を残したか

以前、篆刻を選ぶ際は好きなものを選べばよい
と書きました
 
基本は好き嫌いで判断していいと思います
 
しかし、少し慣れてきたら
もう少し篆刻の世界に足を踏み入れてみましょうか
 
 
  
 
 

篆刻で歴史に名前を残す方法

  
呉昌碩、趙之謙、斉白石、中村蘭台、山田正平・・・
 
なぜ彼らの作品が名品として現代まで残っているのか
 
テクニック
 という面だけで見れば
彼らを凌ぐ篆刻家は現代でもいると思います
 
ではなぜ、彼らが現代でも絶賛され
他の追随を許さないのか
 
 
 
 
それは篆刻に新しい価値観を持ち込んだから
 
 
 
 
  
篆刻の原点である漢印に
誰も思いつかなかったような解釈を付け加えたからです
 
篆刻はいくら自由にやっていいと言っても
漢印から逃れることはできません
 
 
 
なぜなら、漢印をベースにしていない篆刻は
すでに篆刻ではないからです
 
 
漢印をどう解釈するか
 
どう捉えているか
 
それが、篆刻家それぞれの個性となり
魅力となっていくのです
 
  
 
 

そして、それに追随する人たちが現れて、それがスタンダードになってゆく

 
 
追随する人がいないと歴史に燦然と輝く存在にはなれません
 
いくら新しい価値観を押し出したとしても
人々に受け入れられなければ、それはただの独りよがり
 
どこでどう化けるか分かりませんので
後に、誰かによって発見されるということはあるかもしれませんが
それは歴史によってしか証明することはできません。
 
 
人々に受け入れられる解釈
  
 
それは、人々に受け入れてもらおうとして作ることもあると思いますが
どんなものが受け入れられるかは
時代背景、人々の趣味趣向、作家そのもののカリスマ性
など、色々な要素が絡んでくるので
 
たまたま受け入れられた、タイミングがバッチリ合った
 
そんなものなのかもしれません
 
 
大概において、心地よく彫っていたら
いつのまにか時代の波に乗っていた
そういうものだと思います
 
 持って生まれた才能、努力、運・・・
それらが重ならないと歴史の中に埋もれてゆく
  
 

 
 
漢印の魅力

 
漢印は、元々紙に押すようにできたものではありません
粘土に押して、書物などの(木管竹簡)封をしたものです
 
僕の師匠に言わせれば
 
たい焼き機の鉄板を未来人が発掘して
これは面白いはんこだ
と、たい焼きの鉄板をハンコにしてニコニコしているようなもの
 
ですから、漢印を紙に押す、ということ自体がナンセンス。
古代人が見たら逆に目からウロコ、そんな使い方があったのね
と真似をするかもしれません
 
その使い方の勘違いから始まって
 
本来は、きれいに彫られていただろう銅印が
時代で錆び、朽ちた姿を見て
これまた、人々は感動し
 
印とは古色をつけなければいけないのだ
と、セッセときれいに彫った印の縁を
ゴリゴリと削り落としています
 
これまた古代人が見れば、
何を血迷って、綺麗に彫ったものをグズグズにするのか???
と、悩み込むことでしょう(笑)
 
 
でも!
 
やっぱり、錆びて時代がかった印はかっこいいのです
 
本家である古代の人が
それは違うよ、邪道だよ、と言っても
こっちはこっちで勝手に解釈してやるからいいでしょ
 
ほっといてちょうだい
 
というわけで、
自由に解釈をさせてもらっているわけです
 
 
 
 
 
 
 
ただ、篆刻というものが
漢印の解釈から始まるとすると
その漢印をベースにしていないものは
篆刻とは呼べないものになるわけです
 
 
とはいっても、漢印をいいきなり理解するのは難しく
漢印から勉強するのではなく
それをわかりやすく解釈した
近代の篆刻家をスタートのお手本にすることが多いです
 
もっと言えば、自分が師事した師匠の印を真似ることから始まります。
 
自分は漢印をベースにしていなくとも
師匠や近代の篆刻家たちは漢印のエキスたっぷり含んだ印を彫りますから
それを真似ることで、意識はなくとも
漢印の要素が含まれることとなります
  
ですので、大まかに師匠からなんとなくの漢印の様子を学び
そしてそれから、本格的に漢印と格闘することとなるのです
 
ところが、その原点に帰ることなく
そのまま、さらに師匠の印を発展させようとするもんだから
その世界観はどんどん漢印から遠ざかり
なんだかよくわからない世界に紛れ込んでしまうわけです
 
  
 
 
 
だから、篆刻っぽくないよね
 
って言葉は、
あなたの作品は、篆刻(漢印)の風はとっているけど
(もしくはそれさえない)
上っ面だけで、古代の匂いも風も感じないよね
って、意味になるのです
 
 
 
 

 
 
これからの篆刻はどう変わってゆくんだろうね

これから、歴史に名を残す篆刻家が現れるとすれば
現代に新しい漢印の解釈を加えた人
 
現代ですから、デジタルでもいいしアニメーションでもいいし
石に彫る、というところから脱却し
金石の気を伝えることができたなら
 
もしかしたら新たな篆刻が開かれるかもしれません
 
保守的な篆刻界からは受け入れられないでしょうが(笑)
 
 
 
 
 
 
 
今では当たり前に表現されている技法も
昔は革新的で、斬新な造形だったのです
 
いつの間にかそれを守ることだけが正義となっていますが
新たな感覚、感性がどんどん出てくるのも面白いと思っています
 
 
 
 
いろんな篆刻家が色んな表現をし
それを見極める好事家がもっともっと現れてほしいなあ
 
 
 好事家が少ない理由
それは、現代の篆刻家自身に魅力がないから
 
篆刻家の怠惰ですね。反省・・・
 
 
 
 
 
 

今年の催事情報

今年も色々なところに出張実演販売を行います
お近くにお寄りの際は是非遊びに来てくださいね!

年間イベント情報はこちら

 
 
 

【記事を書いた人】

篆刻家、加藤雨人(うじん)
1975年生まれ
北鎌倉の篆刻工房「かまくら篆助」にて毎日篆刻を彫って暮らしています
詳しいプロフィールはこちら
 
篆刻家/役者/ラジオパーソナリティ/
 
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