篆助書道教室(笑)ひっさびさにちゃんと筆持ってるんですけど・・・
どもども、篆刻家、雨人です。
先月から弟子ができまして・・・(笑)
篆刻じゃなくて書道のね
もしかしたら雨人の弟子第1号ではなかろうか・・・
いやあ、ひっさびさにちゃんとした字を書いた・・・(汗)
筆はしょっちゅう(毎日)持っていますよ
古典臨書をするために筆を持つ、なんて事、ここしばらくやってないからね
孔子廟堂碑を学びたいとのことで、
もう、10年くらい臨書なんてやっていなから、雨人でいいのかどうか・・・
という葛藤はありますが(笑)
こんな雨人でもいいとのことなので、
とりあえず、自分の勉強にもなるかと弟子入りを認めたのでした
しかし、偉そうに指導したいところですが、
いかんせん自分勝手にここ何年か書いていたので
書ける気だけは満々でしたが・・・
ひっさびさに子供の運動会で張り切って走ったら
アキレス腱切っちゃうお父さんみたいなもんで・・・
理屈だけはいっちょ前な雨人でした
すんません
ということで、教えるんだからあらかじめおさらいして
完璧な状態で教えてあげましょう
と思いつつ、なーんも予習しないでの教室なので
行き当たりばったりですが
お弟子がやる気満々なので、これはほっといても上手くなるでしょうね(笑)
雨人が教えられることなんてほんのちょっと
きっと、さっさと雨人を追い抜いていくでしょう
これは、僕自身もう一度原点に帰りなさいよっていう啓示でしょうから
彼と一緒にもう一度、古典を見直していこうと思います
こんな機会でもなきゃ、臨書なんてしないからね
めちゃめちゃ新鮮な気持ちで楽しい
いいんですよ。弟子と一緒に成長しますから
篆刻教えるのはだいぶ慣れたけど
書道教えるって、どうやるんだっけ?
と全く頼りない師匠です(汗)
書とは何だと悩んだ末に・・・
二十歳前は、母親がやっていた習字教室で先生をしていました
その時は、習字教えるより、怖い話したり、相撲したり
習字教室なんだかよく分からない状態で・・・
そんな教室で月謝もらってすみませんって今では反省する次第です。はい
習字教室をなんとなく続けていましたが
「これが正しい字」だと押し付けるのが嫌になって
教室はやめてしまいました
あてがわれたお手本を、一生懸命写す子供達。
確かに、字形の整った字が書けるようになる
だけどさ、それがいい字かな?
と思うと、そうじゃないような気がしてさ
ぶきっちょでも個性丸出しの字の方が見てて面白かったんだよね
だから、書道団体に所属して、毎月送られて来るお手本を
受動的に教えるのが嫌になってしまったんですね
子供が、こんな字が書きたい!
って、法帖なんか持ってきたら喜んで教えるんだけど
子供達はお手本をうまく写して、段級位を上げることに必死だし
お母さんたちも、子供が書写展なんかで表彰されることを望んでいるし
でも、二十歳そこそこの僕には、書道のなんたるかを教えてあげる知識も経験もなく・・・
もっと言えば腕もなかったんですね。残念ながら。
僕が書ける字は、師匠(原田観峰)の丸コピー
今見たら、お前に書道を教える資格はなぁぁぁぁぁぁい!!!
とひっぱたくところですが
当時は自信満々、偉そうでしたからタチが悪い
(20年後の自分が今の僕を見たら同じこといいそうですがw)
だってさ、当時は古典なんて知らないもの
先生の字をコピーできるのが偉いと思ってたしね
だけど、それでも疑問がいっぱい湧いてきて
個性丸出しの字が、去勢されていくようで・・・
それで、団体のお手本を使わないで教えることを始めたの。
そしたらさ、分かったんですよ
自分の実力のなさが・・・(涙)
そしたら、何教えていいか分からなくなって
書道教室はやめることにしました
やっと気づいた古典との向き合い方
そして、中国行ってけっちょんけっちょんにされ、
暗中模索の中、出会ったのが黄山谷でした
衝撃でしたね、黄山谷の臨書をした時は
もう、「書」ってこういうこと言うのねーーーーーっ!
電撃が走りましたよ
それまで、宋の時代の書なんて落書きにしか見えなかったから(汗)
しかし、なんで黄山谷の臨書なんてしようと思ったのか記憶がないんだよね
これも、神からの啓示でしょう(笑)
その時は夢中で臨書していました
それが、師匠の字からの脱却だったと思います
今では僕の字を見て日本習字出身と思う人はいないでしょうね
だけど、日本習字で徹底的に原田観峰の字を習ったことは
僕にとってなくてはならないことだったと思います
2年間、朝から晩まで書道漬けだった毎日が
僕の基礎を作り上げてくれていますから
そして、なんたって、僕は原田観峰の字が大好きです!!!
あそこまで書道漬けの生活ができる環境は、日本のどこを探してもないでしょうね(笑)
だってさ、全寮制でバイト禁止、車バイク禁止、男女交際禁止っていう時代錯誤の学校でしたから
そこでの詳しい出来事はこちらに書いてあります
篆刻家、雨人のできるまで
そんなこんなで、僕にもう一度原点に帰れってことだと思うんです
だから、このかわいい(笑)弟子と一緒に新たな道へ進もうと思うんです
んで、さっさと雨人を追い抜き、さらなる世界を見せておくれ。
楽しみにしているよ
あ、書道教室を開催しているわけではないので悪しからず・・・
生徒は募集していないんです。ごめんなさい
店が狭すぎるもんで・・・(汗)
今年の催事情報
今年も色々なところに出張実演販売を行います
お近くにお寄りの際は是非遊びに来てくださいね!
【記事を書いた人】
篆刻家、加藤雨人(うじん)
1975年生まれ
北鎌倉の篆刻工房「かまくら篆助」にて毎日篆刻を彫って暮らしています
詳しいプロフィールはこちら
篆刻家/役者/ラジオパーソナリティ/
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