【篆刻】かまくら篆助〜北鎌倉の篆刻家雨人、手彫りはんこ屋〜 北鎌倉の篆刻専門店。篆刻家雨人の手彫り遊印,雅印通販サイト、書道、絵手紙、年賀状などに

師匠探しの難しさ。就いた師匠でその後の篆刻人生が大きく変わるって話

 
  
今日から篆助も、本格オープン
昨日は結局、朝7時に家に帰ったので起きれず
11時半にお店に着きました・・・すみません(汗)
 
 
 

気張って先生選んでもあんまりいこともない・・・多分(笑)

 

習い事をする時、多分、近所に教室があったから、
会社のそばのカルチャーセンターで、
ってな感じで、軽い気持ちで選ぶと思います
 
全ては縁なので、一生懸命探して、
 
この人だっ!!!
 
と選んだ教室が、全然自分に合わなかったり 、
小学生の時に、親に無理やり通わされた書道教室に
30歳を過ぎても通ったりと、かなり運に左右されますね
 
 
 
いい先生の条件はいろいろありますが
自分が何がしたいのかで、先生選びも変わります
 
 

 


 
 
 
 
僕の最初の書道の先生は、母親
 
書道教室を始めるにあたり、生徒がとりあえずいないので、
近所の子に混じって書道をやらされました 
 
 
 
母親はがっつり書道をやっていたというよりは
街の普通の書塾のおばさんでしたから
 
古典やその他諸々の知識があるわけではなく
いわゆる、お習字教室でした 
 
 
 
 
 
僕自身、書道が好きとか嫌いとか考える前にやらされたので
それをやるのが義務でしたから、習字を習うことに
なんら疑問があったわけではありませんが、
 お習字の時間が好きだったわけでもありません
 
 
そんなわけで、中学に入り書道は真っ先にやめました 
当時は、毎週字を書いていたので、それなりに字がうまいね
と褒められることはありましたが
自分で才能があると感じたことは一切ありませんでした
 
 
 
どちらかというと、弟と妹の方が素質はあり
学校で賞をもらうのはもっぱら弟と妹でした
 
 
僕は書き初めの宿題で自分の字が体育館に飾られることもなく
(一度、母親に書いてもらい体育館に飾られたことがありますが、カナーーーリ疑われました汗 いけませんよインチキは)
書道に対して別に、なんとも思っていなかったのが実情です
 
経歴には幼い頃から筆に親しみ、と書いておりますが
カッコつけでした・・・すみません(汗)
でも、嘘じゃないのでゆるしてね
 
 
 
 
そんなこんなで、まさか自分が書道の道に入るとは全く思っていませんでしたが
どこでどう人生が転ぶか分かりませんね
 
 
 
 
 
書道の専門学校に入ったのも、書道がやりたいというより
自分が日本人である証明が欲しかったからで
別に書道じゃなくても、空手でも剣道でもお茶でもなんでも良かったんです
 
たまたま、母親が習字の先生だったので、
手っ取り早く、書道でいっか、という感じでした
 
 
 
ですから、自分が選んだ先生に就く
ということではなく、成り行きでなんとなく先生に就いていたのです
 
 
 
 
ですが、自然に身をまかせると
多分、自分に最適な先生が現れるのかな?
とも思ったりします
 
全く書道がわからない時に、高名な先生に就いて
難し過ぎてサッパリ付いてゆけず、書道が嫌いになってしまうかもしれませんし
逆に、初学の頃からがっつり本格的な先生に就いて
どんどん頭角をあらわす人もいます
 
さらには独学でもしっかり理解できる人もいます
 
 
 
ですから、一概にこういう先生に就いた方がいい
ということはできません
 
個々の個性によるところが大きいと思います
いくら偉い先生でも、相性が合わないとどうしようもないですしね
 
 
 
僕はというと、
難しいことはサッパリわからないので、最初はお習字から入ったのは非常に良かったと思います
「お習字」と書家はけなしますが、お習字も捨てたもんじゃないですよ
 
「書」というものに特段興味がなかった僕は
お習字と、いわゆる書と呼ばれる世界の区別もついていませんでした
 
 
 

 
  

全ては「縁」 縁からは逃れられないの残念ながら・・・ 
 

篆刻を始めたのも
書道の先生からの紹介でした

 
中国で篆刻を学びたいという僕に
北京の篆刻家を紹介してくれたのです
 
ですから、会うまではどんな印を彫り、どんな性格で
どんな経歴なのかも全くわからず、2年間マンツーマンで教えてもらいました
 
 
 
 
知識がない
 
 
というのは、デメリットでもありますが
僕の場合はあまりにも何も知らな過ぎて、返ってよかったと思っています
先生の言うことをまるっきり信じて2年間学びましたから
 
なまじっか知識がなかったことが幸いしました
 
しかし、知識を得るということは非常に大事だと、今は思っておりますよ。はい
 
なんだか偉そうにブログなんか書いていますが、
実は雨人さん、知識の量はまーーーーーったくないので
学術的なことは、結構嘘言いますからお気をつけくださいね(笑)
 
 
 
 
中国から戻り、
さて、次はどの先生に師事しようかと考えました 
 
 
 
ここら辺から少し打算が入ります
 
 
篆刻家として一旗あげたいと
かなりの野心家でしたから、とりあえずこれから日本のトップになるであろう
先生に就こうと思ったのです
 
で、候補は二人 
 
 
 
関正人と河野隆
 
 
 
我ながら先見の明はあったと思いますよ
事実上、彼ら二人は日本のトップに立ちましたから
 
 
で、選んだのは関正人
 
なぜかと言うと、関先生は
関内でカルチャー教室の講師をしており
河野先生は自宅で教室
 
気楽に入れる方を選んだのです(笑)
 
 
 
 
 
 
しかし、関先生に就いたはずなのに
いつもいる講師は、関先生のお弟子さん
 
ちょっとがっかりしましたが
これが豊岡先生との出会いでした
 
師匠、豊岡歩齋についてはまたいつか書きたいと思います
 
豊岡先生は、毎日展も日展も離脱しており
その点では、雨人はこれから篆刻界で上り詰めていくのに
かなりのマイナスポイントでしたが、
 
 
  
雨人の本領を発揮させてくれたのは豊岡先生でした
先生が亡くなるまで、僕は豊岡先生の弟子でした
 
 
 
 
 
 
豊岡先生もなくなり、
扶桑印社を破門になり(笑)
これについてもいつか書きますね、色々問題あるけど(笑)
 
 
そんなこんなで、また師匠がいなくなった雨人ですが
もうその時は、この人の弟子になりたい!
という人は決まっていました
 
 
 
 
 
なぜ、そんなに雨人は師匠に就こうとするのかというと
雨人は師匠がいないと全くだめなタイプなんです
 
独自で研究、研鑽できる人は師匠なしの方が伸びやかに生きていけると思います
 
残念ながら雨人は、昔っから理解度が低く
学術書の類が全く読めないのです 
 
要は、勉強が嫌い
 
勉強できなくても、印は彫れる
だから、彫ることのみに集中しました
 
 
 
 
 
しかし、やればやるほど知識が必要になる・・・
 
 
 
ってことに気づいたんですね
 
 
それまで一人でやってきた雨人ですが、
篆刻仲間ができ、彼らの会話を聞くのはとても楽しかったです
 
ただ、その帰りの電車がきつかった
 
自分のダメさ加減が目の前に突きつけられたようで
ほんとに落ち込みました
 
 
 
しかし分かったのは、知識を持った人のそばにいるだけで
一緒の空気を吸うだけで、いろんなものが僕の中にどんどん吸収されているということ
 
これは不思議でした
 
だから、僕は初めて打算や損得そんなものを抜きにして
師匠を選びました
彼には嫌われても、邪険にされても、師匠と言い続けます
なぜなら、彼が僕の師匠である限り
彼の知識や考え方が、僕にダウンロードされ続けるからです
 
 
 
 
 
 

そんなこんなで、師匠選び
 

弟子が師匠を選び、師匠が弟子を選ぶ 
 
二人の関係は同じレベルなのです
 
 
 
 
 
 
 
 イヤイヤ師匠についている人
残念ながら、それはあなたに必要なレベルの師匠なのです
 
 
この際の「レベル」っていうのは
どんな意味なのかというと、よく分かりません(笑)
適当に考えてくださいね
 
 
レベルが変われば(段階というべきか)自然と弟子も師匠も離れて行きます
無理に離れても同じこと
同じような師匠につき、いつまでも満足できない
 
それは師匠に満足できていないのではなく、自分自身の足りていない部分が
そのまま師匠に反映されているだけ
 
 
 
 
 
師匠は選ぶことができず、縁のみ
 
その縁に逆らってもロクなことはありません
だから、今いる師匠の言うことを全力で守ること
それが今の自分に必要なものなのです
 
 
 

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